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孤独のグルメ

「孤独」とは“寂しさ”の象徴ではなく、“自由”の象徴である

作品データ/『孤独のグルメ』 原作:久住昌之、作画:谷口ジロー 『月刊PANJA』、『週刊SPA!』連載、全2巻

中年が黙々と一人で食事をするだけの物語

 今では誰もがスマートフォンを持っていて、SNSやメッセージアプリを使えば何時でも誰とでも繋がることのできる時代となりました。

 それに、インターネットで美味しいお店を検索するにも、一緒に食事をする友人や恋人を誘い出すにも、今やスマホは必須のアイテムですもんね。

 こういったスマホを使った人とのコミュニケーションは温もりを生み、寂しさを感じさせないという点では、かなり有用であると言っていいでしょう。

 しかし、そういった“つながり”こそが、あなたから本当の意味での“自由”を奪っている…なんて言われたら、ちょっとドキッとしちゃいますよね。

 ――『孤独のグルメ』の主人公である井之頭吾郎ははっきりと描かれていませんが、おそらく一人暮らしの中年男性。仕事も個人で輸入雑貨の貿易商をしているため、共に食事する同僚もいません。

 さらに下戸ということもあり、ふらりと居酒屋に入って酒を飲んでツマミで腹を満たすなんてこともしません(居酒屋に入って酒を飲まず、ツマミとごはんでオリジナル定食を作り上げることはありますが…)。

 打ち合わせも商談も商品の搬入すらもひとりで行う吾郎ですが、そんな吾郎も働いていたら、当然お腹は空きます。

 そんなとき彼は、初めて訪れた街だって物怖じせずに、自分の腹に従って、孤独に、しかし自由に、一人飯を楽しみます。

 もちろん直感に従っているのだから、間違いもあります。ピンとこない料理を食べなきゃいけなくなったり、食欲に任せて注文した料理の具材が他の料理とかぶってしまうなんてことも。

 それでも、吾郎は食事をしながら自分自身と心の中で対話し、どんなふうにどんな順番で食べるのかを考えたり、相性の良い食べ合わせを見たり、周囲の客の注文したものを見て追加で注文したり、徹底的に自由に食事を楽しもうとします。

 ドイツの哲学者であるアルトゥル・ショーペンハウアーは、こんな名言を残しています。

「人間は孤独でいるかぎり、自分自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならぬ。孤独でいるときのみ人間は自由なのだから」

 そう、孤独とは自由。

『孤独のグルメ』とは、究極に自由なグルメでもあるのです!
      

食事の場に他者を介在させないメリットとは?

 さて、『孤独のグルメ』は俳優の松重豊さんが主演でドラマ化されていて、その人気はご存知の方も多いはず。しかし、多少のストーリーがあるものの、基本的には仕事に行った先でお腹を減らした吾郎が名物料理を堪能するといった展開がお馴染みであり、そんなシンプルな構成のドラマが第5シーズンまでも作られていることはちょっと驚きじゃないでしょうか。

 もちろん、松重豊さん演じる吾郎がとても美味しそうに食事をするところに魅力を感じる方もいると思います。

 しかし、おそらくはドラマの視聴者もマンガの読者も“吾郎が自由に食事すること”への憧れとシンパシーを感じている点が人気の理由の主因なのではないでしょうか。

 友人や恋人、家族と食事をしに行くと、「行儀よく食べなきゃ」とか、「シェアしないといけないから相手の苦手なものを注文しないようにしよう」とか、「食べすぎって思われるかも」など、いろいろと考えて食事をしますよね。

 さらに、食事をしながら会話を楽しんだり、会話の内容を考えたりと、人と食事をするのって意外と忙しいものです。

 もちろん、みんなと和やかに食事を取る楽しさもありますし、その楽しさは他では味わえないものです。

 けれども、孤独に自由に食事を取る楽しさも他では味わえない愉悦であることを誰もが知っているのです。

 孤独であり自由だからこそ、自分との対話も楽しめるということを。

 作中にはこんなエピソードがあります。

 大井町で仕事を終えた残暑の厳しい初秋の昼下がり。学生時代に通ったラーメン屋に行こうとするも、時代の流れで人気店に。ラーメンは「並んでまで食べるものではない」と思っている吾郎は、他のラーメン屋に入り、なんとなくラーメンではなく冷やし中華を注文する…。

 もしも、誰かと一緒に「ラーメンを食べにいこう」となったら、目的の店に行き、ほぼ確実にラーメンを注文しますよね。そんなことを吾郎は自分に強制しません。何となく「よさそう」と思った店で、「今年はまだ食べてない」という理由で冷やし中華を注文する。

 さらには他の客が食べていたラーメンを見て、冷やし中華にプラスしてさらにラーメンも注文します。そんなこと、誰かと一緒に食事に行っていたらドン引きされると思って、なかなかできませんよね(笑)。

 また、こんなエピソードも。

 ランチタイムの終わりにギリギリで入った洋食屋でオススメされたハンバーグランチを注文。しかし、その店の店長らしきスタッフが慣れない仕事に四苦八苦する外国人の店員を客前で何度も叱り飛ばす。それに腹を立てた吾郎は、食事を途中で止めその店長らしきスタッフに彼なりの食事の心得を語り……、結局、食事も途中で退店してしまいます。

 これも、もちろん他人と一緒に食事をしていたらなかなかできないことですよね。作中で語った彼なりの食事の心得はこんなものでした。

「モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず自由で なんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで……」

 マンガの井之頭吾郎は食事をする際には、ものすごく饒舌になります。しかし、それはあくまでも彼の頭の中でのみのこと。

 誰にも邪魔されず、独りで食事に集中しているからこそ、料理の感想や自分の置かれた状況や過去の思い出などを、親父ギャグや詩的にまで昇華された表現で自分に語りかけることができるのでしょう。

 そしてそれは、孤独に、自由に、人生を見つめ直すきっかけにもなり得るのです。

 仕事終わりに、友人や同僚を誘って食事に行くのもいいですが、今日くらいは“孤独”に食事に行き、食べることの本来の楽しさや人生の喜びなんてものに想いを巡らしてみてはいかがでしょうか?
      

<文/牛嶋健(A4studio)>

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